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スタッフ紹介 | 豊中市蛍池 骨盤矯正 猫背矯正 骨格矯正サロンいっしん

スタッフ紹介

宮島 利典のプロフィール

取得国家資格: 鍼灸師
血液型: O型
趣味: サッカー、ゴルフ、ジョギング
担当: 最先端骨格矯正

『私も“腰痛”持ちでした』

はじめまして。“いっしん”院長の宮島と申します。

私が、この仕事に就いたきっかけを少し。
私は、小学生の頃から大好きなサッカーに明け暮れる毎日を送っていました。
今でも忘れません。
中学3年時の、サッカー練習中でした。
急に腰が痛くなり、腰が伸ばせなくなったのです。
我慢しながら練習を続けていたのですが、立っている事も出来なくなり、練習を早退しました。
そんな時、友人が通っていた整骨院を紹介してもらい、数日通って何とか練習に復帰。
その後もメンテナンスの為に、その整骨院に通っていました。
高校生になり、自分の将来を考えていた時に、通っていた整骨院の院長に「ウチに弟子入りしてみないか?」と誘ってもらったのが高校2年生の冬でした。

自分と同じように、腰痛などで悩んでいる人達の力になれれば。
そう思い、17歳で弟子入りすることに。

『鍼灸師の私が、メインの治療を鍼灸ではなく最先端骨格矯正にする理由』

弟子入り後も、私は度々腰の痛みを感じる事がありました。
兄弟子に、はり治療やマッサージなんかをしてもらうと楽にはなるんです。
しかし、仕事が忙しかったりすると、また再発。
それの繰り返しでした。

「完治させる方法はないのか?」
はり治療やマッサージで一時的に楽になる・・・
でも、再発。
これを考えると、根本原因が改善されていないからではないのか?
根本原因とは何なのか?
人体の基盤になるもの・・・骨格。
基盤になる骨格の歪みを正確に改善出来れば、自分自身の腰痛はもちろん、
再発を繰り返す患者様の力になれるのではないのか。
そう思い、色々な本を読んだりセミナーに参加したり、根本原因から解決できる治療法を探していた時に出会ったのが『最先端骨格矯正』という治療システムでした。

目から鱗でした。

『レントゲンから根本原因を探る』
『治療結果がレントゲンを通して証明できる』
『最先端骨格矯正専用のベッドを使用』
・・・などなど。

「これだ!!」
と直感的に感じました。

そして、私自身の腰痛も根本原因をレントゲンから分析する事に。
愕然としました。
これだけ“骨格の歪み”があれば、腰の痛みが再発して当たり前。
しかも、私の腰痛の根本原因は頚椎(首)にあったのです。
これでは、いくら患部の腰を治療しても完治するわけがありません。

それから、最先端骨格矯正の勉強と並行して、私自身の治療もしてもらいました。

すると、腰痛はもちろん、疲れが溜まると出ていた頭痛も感じなくなったのです。

根本原因が分からなければ、完治する訳がありません。

これら自身の体験も含め、私は鍼灸治療ではなく、最先端骨格矯正をメインに患者様の治療にあたっているのです。

『“本気で良くなりたい方”応援します!』

世の中には、色々な身心のお悩みをお持ちの方がいらっしゃいます。
腰痛・肩こり・頭痛などの痛み。
椎間板ヘルニア・坐骨神経痛・頚腕症候群などの神経症状(シビレ)。
猫背・ウェストラインの左右差・顔の歪みなどの不良姿勢。
これら身心のお悩みのほとんどが、骨格の歪みに根本原因が潜んでいます。

また、身心のお悩みがある事で出来ない、又は我慢している事があると思います。
例えば、膝が痛いから山登りを控えている。
腰が痛いからスノーボードが出来ない。
ウェストラインの左右差が気になり、ピタッとした服を着る事が出来ない。
などなど・・・。

身心のお悩みを解消し“本気で良くなりたい方”は、まず根本原因をレントゲンから分析する事をお勧めします。
そして、根本原因から解決し、身心のお悩みの為に我慢していた事を思う存分楽しんで下さい!
“いっしん”は、全力で協力させて頂きます!!

宮島 正樹のプロフィール

取得国家資格: 柔道整復師
血液型: O型
趣味: サッカー、フットサル
担当: 最先端骨格矯正、美脚あし楽整体

はじめまして!副院長の宮島正樹です!
私は幼少期の頃から体を動かすことが大好きだったみたいで、兄達がやっていたサッカーの試合を観に行ってはサッカーボールを蹴っていたのを覚えています。その影響もあり、気付いた頃から遊びの大半はサッカーという感じでした。
そして、豊中市立桜井谷東小学校に入学し、本格的にサッカーを始めたのが小学4年生。
当時、その小学校のサッカーチームに入れるのが小学4年生からでした。
その為、入学してから4年生になることがすごく待ち遠しかった事を覚えています。
サッカー部に入部する頃、Jリーグが開幕し、僕の夢は“Jリーガーになる事”となった訳です!学校での練習以外にも、自主練をしたりサッカー漬けの毎日を送っていました。
そして、練習の甲斐もあって、4年生の冬にはレギュラーを獲得し、中学卒業するまで試合にレギュラーとして出場させてもらいました。また、中学3年生の頃には豊能地区の選抜にも選ばれ、ますますプロを意識するようになったのです。

そんな僕がなぜ治療家という道に進む事になったのか?
地区選抜に選ばれた事もあり、数校から推薦のお話を頂いたのですが、高校サッカーで全国大会に出場し、有名になってプロに…なんてサクセスストーリーを描きつつ、中学時代の監督に相談に乗ってもらいながら、僕が選んだのは大阪府立刀根山高等学校。
ここで、僕は挫折を味わい、サッカー選手になる事諦めてしまうんです。
刀根山高校サッカー部に入部し、当時8軍まである中2軍からスタートし、好スタートを切れました!
しかし、2年生に進級した時、僕は体格に恵まれずドンドン同期や後輩に追い抜かされてしまったんです。
そこから奮起して、一時期レギュラーを勝ち取れそうになったのですが、試合中に鼻骨骨折…監督に病院での診断結果を伝えに行き、部活を見学する旨を伝えると、「お前にとって大事な時期に見学するんか。残念やったな。」と声を掛けられたのを今でも覚えています。
その後、僕は卒業するまで1軍には一度も呼ばれる事はありませんでした。
部員90名もいたクラブには僕の代わりになる選手は何人もいたのです。
公式戦に出たのは3年間で15分のみ。これでは、プロになんて到底なれない…サッカーでの初めての挫折。
そこで、次に目指した職というのが、この治療家という世界でした。
サッカーをしていて、膝を痛めたり、腰を痛めたり、色々とケガに悩まされた時期もありました。
そんな時いつも治療してくれたのが、8歳上の兄(院長)でした。
サッカー選手になれなくても、この様な形だったら好きなサッカーに関わりながら仕事が出来る!そう思ったんです。
そして、治療家になることを決定付けたのが、兄に初めて最先端骨格矯正治療を施してもらった時です!
身体が一気に軽くなったのを今でも覚えています。これが自分の身体とは嘘の様でした。
その日のサッカーの練習でも、身体のキレもよく調子も良かったんです!この時、治療家の道に進む決心をしました。
そして、一人でも多くの方を痛みや歪みなどのお身体のお悩みを根本から解決し、笑顔を取り戻せるようになりたいと思ったのです。
これからも初心を忘れず、常に向上心を持ち、皆様のお力になれるよう、努力して参ります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。